先週に引き続き、今日も2か所で茶会があり、行ってきました。

 

午前中は表千家の月釜が岐阜公園の茶室で行われましたので行ってきました。

 

あいにくの天候でしたが、多くの方がいらっしゃっていました。

 

写真は撮れませんので、ご紹介は出来ませんが

膳所焼など様々なお道具が使われていました。

 

午後からは、大垣の奥の細道記念館で、織部流の茶会がありましたので

行ってきました。

 

織部流は古田織部の武家の流派なので、今回は戦場である陣中で

お茶を点てる手前を見せて頂きました。

 

より実践に即した点前で特徴のあるものでした。

 

古田織部は利休七哲の一人で、徳川秀忠の茶道指南役まで務めた人物です。

 

2代将軍の茶道の先生をしていたということですので、茶道で日本一を極めたということです。

 

伊達政宗や毛利家など多くの大名が織部に茶道の教えを乞うたそうです。

 

徳川家康から、謀反の疑いで切腹を申し付けられますが、

力を持ちすぎると、時の権力者からは恐れられるということでしょうか。

 

事の真偽は不明ですが、古田織部は何の申し開きもせず、腹を切ったといわれています。

 

茶室の中では、身分の上下はなく、皆平等であるという千利休の教えを忠実に守った織部は

徳川幕府の身分制度と矛盾を生じ、統治するのに不都合になったという説もあります。

 

古田織部は武将ではありますが、武力に秀でた武将ではありませんでした。

 

そんな彼が、徳川家の中枢、茶道指南役に居ながら、謀反を起こすことは考えにくく

徳川家の権威や力を示すための諸大名への見せしめとなった可能性が高いと思います。

 

岐阜県本巣市山口の出身とされる、古田織部の考案したお点前が、今も脈々と受け継がれ

見ることができるということは、大変貴重でありがたいことだと思いました。

 

また、岐阜のすぐ近くから、歴史の偉人が出ていることは、喜ばしいことだと思いました。