茶道具には、日本全国に様々な器が存在します。
これは昔の日本には、藩などその土地を治める領主がいて
領内で独自の産業や特産品を作り、それを他藩に売って藩の財政としていました。
豊臣秀吉が行った朝鮮出兵は失敗に終わりましたが、
日本の器文化にとっては、目覚ましい発展につながりました。
当時の日本の製陶技術は遅れており、陶器しか作れなかったということです。
白磁や青磁など磁器製の器は焼成温度が高く、日本国内では作る技術がなかったのです。
ですので、中国の器は「唐物」、朝鮮の器は「高麗物」といって、日本国内の和物よりも
格上の扱いをされていました。
朝鮮出兵に従事した大名たちは、朝鮮の陶工を連れて帰り、位と禄を与えて
厚遇し、窯を作り器を作る環境を整備して自分たちの藩の産業としました。
これにより、日本の製陶技術は飛躍的に向上し、それ以降の日本の器文化に
大きな影響を与えたと言われています。
それが、萩焼や唐津焼、有田焼、備前焼、薩摩焼などになり、現在もその末裔たちが
活躍し続けています。
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