園部玄哉 作の赤楽の抹茶碗のご紹介です。
楽焼とは京都の雅陶で、手の指先で土を捏ねて作られた
火度の低い陶器です。
安土・桃山時代に帰化人 阿米夜が創始したと伝えられています。
楽焼という名称は、初代長次郎が豊臣秀吉の聚楽第内で製陶し
初めは聚楽焼と呼ばれ、二代常慶が楽字の印を賜り、これを使用するに及んで
次第に、楽焼の名で呼ばれるようになったとのことです。
楽焼は茶碗が多く赤楽と黒楽があり、初期の赤楽は胎土聚楽土による発色で
黒楽は賀茂川上流の真黒石という釉料による発色です。
楽焼は、我が国で茶道が盛行するようになり、これに要求されて
出現した独自の産物であるので、その特徴はすべて茶道の精神に合致します。
抹茶の温味を保つのに適した器質、形態の安定感と不規則自在な成形
その中に、五岳などと称する口造りの巧みさ、色相の沈着など
手捏ねのみが持つ、温雅静寂の趣きを持っています。
長次郎は千利休の指導によって、この我が国独自の茶碗を創製したと
言われています。
楽焼は真っ赤に熱した茶碗を、やっとこ鋏ではさんで、冷水につけて
急速に冷やすことから、やっとこ鋏でつかんだ跡が残っています。
本物の楽焼であることの証です。
この赤楽茶碗は、全体が丸い形をしていて、やさしい印象があります。
大きさは抹茶碗としては、通常の抹茶碗よりも、やや大きめに感じます。
楽焼としては生地は薄手の方で、見た目よりも軽く出来ています。
口よりも少し下、胴回りよりも少し上の部分に削ぎが入れられており
持った時、しっくりと手に馴染みます。
土は薄い肌色をしており、高台の部分を見るとはっきりと分かりますが
一番上には透明な釉薬がかけられており、内側底面の茶だまりの部分や
外側側面の釉薬が厚めになっているところは白くなっており、更に貫入が見られます。
この作家さんの独自の楽焼の作り方と思われ、手触りに特徴があります。