京都の大徳寺塔頭である弧蓬庵(こほうあん)の住職 小堀亮敬 氏の花押が
書かれた蓋置一双のご紹介です。
弧蓬庵は、慶長17年(1612年)に、黒田長政が創建した臨済宗の寺院で
小堀遠州が江月宗玩を開祖としてい庵を建立しました。
寛永5年(1793年)火災により焼失しましたが、小堀遠州を崇敬した、松江藩主
松平不昧が古図に基づき再建しました。
現住職は19世の小堀亮敬 氏で現在に至っています。
竹の蓋置は引切(ひききり)とも言われ、武野紹鷗が面桶(めんつう)の建水
(曲げ建水)と共に水屋で使っていたのを、千利休が表の道具として使い始めたと
言われています。
後に利休の子、少庵が上節、道安が中節を好んだことから、節の位置で炉と風炉の
区別が出来たととも言われています。
炉用(11月から4月)の蓋置は、中節で大きな炉釜の蓋を置くので、径も大きくなっています。
風炉用(5月から10月)の蓋置は、上節で風炉釜は小さいので、径が小さくなっています。
「一双」とは、その2種類の蓋置が対になっているということです。
それぞれに、小堀亮敬 氏の花押が朱色で書かれています。